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介護は不安?
皆さんは将来介護をすることに不安はありますか?
私は正直、老健(介護老人福祉施設)で働くまで深く考えたことはありませんでした。
私のおばあちゃん
私は、父方の祖母と高校2年生の時まで一緒に住んでいました。
祖母はこだわりが強くとても元気な人でした。
市バスでしたら無料で何回でも乗れるのに、バスの時間と乗りたい時間が合わない時は、低脂肪の牛乳を求めて1キロ先のお店なら平気で歩いて買い物に行って帰ってくるような…
敬老会にも積極的に参加したりしていました。
車が嫌いな祖母は、電車で2時間程かけてひ孫に1人で逢いに行く人でした。
入院そして…
私が高校生の頃、玄関前の段差で転倒してしまい大きな怪我は無かったものの歩くのが不自由になったのでかかりつけの病院へ行くのですが、クリニックであったためここでは見れないと大きい病院を紹介されます。
そこで、精密検査を受け癌である事が分かります。ですが、自覚症状が無かったためその時まで気付かず、10年以上前からあるのもので治療は難しい、もって1ヵ月だろうといわれます。
突然の癌の宣告と余命宣告でした。
先生からも癌が見つかった場所は沈黙の臓器であり高齢でもあるため今まで症状が無かったのでは無いかといわれました。
私たちも祖母も、入院し癌であると分かり考えるまでは自覚症状は無いと思っていましたが一つだけ…
よく顔が痛い(顔面神経痛)と近くの診療所(クリニック)に通っていたこと、痛みを和らげるため顔に電気をあてて温めていたことがありました。
癌であることがわかるまで、この症状しか祖母から聞いたことがなくよく食べよく歩き、離れて住むひ孫に会いに行くことを楽しみにしている人だっため、とても驚きました。
入院し1週間ほどでご飯が食べれなくなり寝たきりとなります。
輸血もし、褥瘡もできましたがこの時には意識はなく入院後1カ月で亡くなったため実際には介護を経験したことはありません。
ですが、入院中これからどうなっていくんだろう。
この時、期限は両親から聞かされていなかったため、いつまで側にいれるんだろうという不安はありました。
また、毎日病院に通い祖母の手を握っている時に親指の力強さにまだ大丈夫という安心感もあったように思います。
祖母が亡くなってしばらくしてから近所に住んでいたおばちゃんと話していて、祖母の口癖であった「迷惑をかけずにコロッと死にたい」この言葉通りになったのかな?と思う反面、おばあちゃんっ子であった私はもっと一緒にいたかったという気持ちでいっぱいでした。
介護を考えて
働き始めて今年で3年になりますが、最初は介護に対しての知識といえば、働くことが決まってからの勉強と学校で学んだ老年看護の中の知識しかありませんでした。
利用者様やご家族様と日々関わらせて頂くなかで、直接介護に関わっているご家族様も家が遠くたまに関わるご家族様もそれぞれ正解のない不安を抱えておられることに気付かされます。
家族の介護と仕事での介護の大きな違いにもいろんな形で気付きがある日々です。
少しでも、ご家族様と利用者様と関わりを持ちご家族様の”こうしてあげたい”や“こんなことがしたい”という気持ちを汲み取り叶えていけたら、そんな看護が出来たらと思っています。
最後まで読んでいただき有り難うございました。